フワリ

フワリと

頭上から舞い落ちてくる漆黒の羽。
掴もうと腕を動かそうとしても、脳の命令が神経に回らない。
いや、最早脳すら死んでいるのかもしれない。
なのに視界だけは生きていて、見たくも無い自分の惨めな姿を目の当たりにした。

銃によって傷つけられた腹に縦一文字の深い傷が刻まれている。
開かれた腹からは何だか良く分からない物が引きずり出され、辺りに散乱していた。
嫌な光景を見た。
それでも落ち着いているのは自分の事だからだろうか?
視線を上に戻せば、何所から落ちて来るのか分からない羽が舞っていた。

綺麗…、

素直にそう思った。
もう少し見ていたかったけど眠気に負けて両目を伏せ様としたその時、

『これはこれは、』

頭上で一話の鴉が鳴いた。




浮遊感が内臓を刺激して吐き気がする。
何だと思って重い瞼を開いたら、視線の先には揺れる銀糸。
夜の闇に呑まれず、月の様に輝く其れは先程見た漆黒の羽とはまた違った意味で美しかった。
思わず腕を伸ばし掴めば、蛙の潰れた様な声がしてまどろんでいた自分の意識が覚醒する。

そう云えば、さっきのあの傷は?
其れよりもまず何で動ける?
何で生きてる!?

「テメェ、謝罪も無しかよ」

恨めしそうな声音が鼓膜を叩き、思わず肩をビクつかせた。
声は後ろから聞こえる。
恐る恐る振り向けば、眉根を寄せた女神に出会った。

「は、」
「あん?何だよ」
「いや、いやいやいや」

落ち着けと何度も言い聞かせるが心臓は早鐘を打ち続け言う事を聞かない。
いきなり全身に血が通い始めて頭が鈍く痛んだ。
痛みと吐き気を堪えてる今でも状況が分からなくて、何から考えていいのか分からなかった。
だからまずは、

……まずは…?

「アンタ誰?」

素朴な質問をぶつけてみることにした。




『♪――My mother has killed me――♪』

薄い唇から紡がれるのはマザーグースの一節。
美しい声音だが歌っている内容は残酷そのもの。
女性は笑みを浮かべながら月を見上げた。


♪――母さんが私を殺したの――♪
♪――父さんが私を食べている――♪
♪――兄弟姉妹がテーブルの下に座って――♪
♪――私の骨を拾い、それを冷たい大理石の下に埋めるよ――♪

「さぁ、探すがいい。お前を殺した奴はこの中に居るか?」




銀髪の女神から自己紹介と説明をして貰い、
自分が本当につい先ほどまで死んでいたのだと自覚する。
服だって先程切り裂かれ、血塗れになったやつを着ていた。
此れがあの恐怖が真実だったと物語っている。
変な気分だった。
確かに死んだ筈なのに、何故生きてる?
聞きたい衝動に駆られ女神…ではなく、青年の方へと視線を向ければ、あからさまに不機嫌な表情と出くわす。
綺麗な顔なのだから笑えばいいのに、と当初の目的を忘れ、考えていたら蒼い双眸に睨まれた。

「ぇ、あの…、さっきは髪掴んで失礼しました」

思い当たる節があったので謝罪しておく。ここで見捨てられたら堪ったものじゃない。
自己紹介の際、夜神蓮と名乗った青年は仕方なく向き直ると厳かに口を開いた。

「話した通り、俺がお前の家に入った時は辺り一面血で染まっていた」

その言葉にコクリと固唾を飲み込む。
彼は淡々と自分の見た光景を語っていた。

「倒れてるから死んでるのかと思えば、服は切り裂かれているのに傷は見当たらない」

思わず腹部に触れる。
自分でも、見たのだ。殺された自分の姿を、自分の目で。
気持悪くて口元に手を当てる。
だが蓮は気にする素振りも見せずに話を続けた。

「服もお前も、部屋だって血塗れだった。あの出血量から考えると絶対に死んでないとおかしいんだよな。科学的根拠の上の話だけど」
「え?」
「つまりは、お前は"死んだ"筈なのに今"生きて"此処に居る。呼吸もするし、話もする。
でもそうするとあの惨状に矛盾が生まれる。切り裂かれた服に残る大量の血痕。そして微量の肉片が部屋には散乱していた。お前のモノだ」
「っ、」
「血痕だけなら犯人のもの云う可能性も十分にある。だが、肉片だぞ肉片。お前のしか考えらんねーだろ」

結論付けられても何て答えればいいのか分からない。
其れより、此の男は死体を見慣れているのか動揺や嫌悪を全く見せなかった。
此方は想像しただけでも気持ちが悪いのに。

「考えられる理由はいくつかあるんだが、」
「待って下さい」

まだまだ尋ねたいことは山ほどある。
だが頭の整理も出来ていない状態でこれ以上説明されても理解できないだろう。
順を追って聞かなければ…。

「私の事については、今はいいです。其れよりも、何で貴方が私を発見して、」

そして、

「何で今外に居るのか詳しく知りたいんですが」
「………………面倒臭い」

ポツリと聞こえた言葉に唖然と目を見張る。
どう考えたって説明すべき事はまずそこだ。
はぁ、と溜め息を吐き、彼は沙羅の方に体を向けると徐に腕を伸ばした。
驚いて身を固くした瞬間、再び訪れる浮遊感。
荷物の様に抱き上げられていると分かったのはその数秒後。

「ちょっ、」
「時間が押してるんだ。移動がてら説明してやるから騒ぐなよ」

地を蹴って兎の様に跳ねると、近くの屋根の上に着地した。
人間が成せる技だとは到底思えない。
言葉を失って目を白黒させていたら、馬鹿にした様な笑い声が耳に入ってきた。
流石に苛ついて小さく舌打ちする。
「……あ、そっか。まだお前"普通"なんだな」

思い出したように納得する彼に何の反応も返せない沙羅。
そもそも、此の男とは会話は成り立たないような気さえしてきた。

「ふーん、そう。じゃあ俺が話すより他の奴の方がいいかな?」
「あの、さ…、」
「お前は知ってしまったから。気付いてしまったから」

移動を続けながら彼は不意に歌う様に言葉を紡ぐ。
それはまるで子守唄の様に柔らかく心に染みて、不思議とすんなりと中に入ってきた。

「常識を常識と思えなくなった時点で、其れはもう"一般的"な"普通"とは言えない」

"普通"と云う定義は幅が広すぎて言葉では表せない。
だから彼はあえて"一般的"と云う表現を使った。

「そうなった奴の事を俺達は"覚醒者"と呼んでいる」




覚醒者…矛盾に気付いた者を指す。"普通"であろうとするが故に、
    様々な疑問と葛藤を抱き最終的は其の問いに呑まれて一生を終える。

    




――気付かなければまだ幸せでいられたかもしれない。
例え其れが何の変哲も無く堕落した日常であっても、
きっと今よりは大分マシだ――










A person of awakening